12『想い飛び交う夜』 星と月が飾る夜空に、想いは飛び交う。 愛しい人と離れなければならない夜。 離れているからこそ、想いは強くなる。 今この時、あの人は何をしているのだろう。 あの人は自分の事を考えてくれているだろうか。 自分と、あの人は幸せだろうか。 相手ヘの想いが、夜空を星影となって飛んでいく。 お互いの想いが出会う時、それは離れる二人を結ぶ絆となる。 西方料理店『オワナ・サカ』での宴の後、リク達はそれぞれ今夜眠る場所に引き上げることになった。 リク達一行はカーエスとフィラレスの客人という扱いなので、二人の部屋に分けて止まることになっている。カーエスの話によると、彼らの部屋は2、3人くらい平気で泊まれるような部屋なのだそうだ。 ティタとミルドは魔導研究所の外に二人の家を持っているので、途中で別れた。 「いいかい、リク。アンタには明日、とびっきり厳しい試験を用意してあげるからね」 「ああ、望むところだ」 リクがティタにそう答えると、ティタは満足そうに微笑んで、ミルドと共に自分達の家がある方向に去っていった。 リク達はカーエスの案内で、魔導研究所まで戻ってきた。入り口から入ったところにある中央ホールから、住居・宿泊棟へと入っていく。 長い廊下を抜けると、そこは食堂になっていた。いくつものテーブルが整然と並べられ、奥は厨房になっている。今、現在は食事の時間は過ぎてしまっているが、夕食を食べはぐれた者達の為に、即席調理器が食堂の片隅においてあるので、その恩恵に預かっている者たちがまだポツポツと残っていた。 「ここから女子寮と男子寮に別れてんねん」と、カーエスが食堂から伸びている二つの廊下を順に指差して言った。「あっちが男子寮、そっちが女子寮。フィリーとヤリ女はそっちやな」 カーエスが説明を終えると、フィラレスとジェシカがリク達から女子寮の廊下の方に一歩離れた。 「それではお休みなさいませ、リク様」と、ジェシカがぺこりと頭を下げる。そしてその隣ではフィラレスも小さく手を振っていた。 「ああ、二人ともまた明日な」と、リクも手を振り返す。 「フィリー、おやすみ〜」と、カーエスも手を振る。 男子寮のカーエスの部屋はかなり上等なものだった。部屋にはかなり細かくランクが設定されており、学生の中でも最エリートに当たる彼の部屋は家族でも暮らせるくらいに広いものだ。トイレ付きのバスルームに台所まである。 しかし、流石は男の部屋というもので、ティタの研究室程ではないにしろ、ある程度散らかっていた。カーエスは通り道にあるものを蹴り退けながら寝室へと案内した。 「ちょっと散らかっとるけど、のんびりしとれや、今風呂入れたるよって」 「ああ、悪いな」 そう言って、リクは荷物を下ろし、リビングルームにあったソファーに腰を沈めた。 しかし、コーダは荷物を下ろすと、すぐに外に出ていこうとした。それを見たリクが首を傾げて訪ねた。 「あれ? どこか行くのか、コーダ?」 「ああ、ちょっと『便利屋協同組合』に行こうと思いやしてね」 「便利屋協同組合?」 リクが、聞き返すと、コーダはこくりと頷いて答えた。 「プロの便利屋達が集って情報を交換しているところスよ。もっとも表立って看板を出している訳ではないので、素人じゃ見付けられないスけどね。この街の事はあまり知らないし、予め事情を把握しておくことがトラブルを未然に防ぐことに繋がるんス」 「なるほど。じゃ、どのくらいで帰って来れる?」 「今日は帰ってこられないかもしれないス。待たずに寝てていいスよ」と、そう言ったコーダはドアを潜って去ってしまった。 そこに、風呂の準備を終えたカーエスがやってきた。 リクからコーダが出かけたことを聞くと、彼は呆れたように言った。 「ホンマに行動の読めんヤツやな。普段も、なに考えとるか分からへんし」 「でもアイツは俺達の味方だ。俺達に不利益になるようなことはしねーよ」 リクの答えに否定も肯定もせず、カーエスはリクの前にいれてきたコーヒーを置いた。 「お、サンキュ」 リクは礼を言って受け取り、砂糖とミルクをたっぷりと入れた。 カーエスがその様子に眉をしかめつつ、リクの対面に座った。自分のコーヒーに砂糖とミルクを入れて、ぽつりと言う。 「……まあ、あいつがおらん方が話しやすいか」 「ん? 何の話だ?」 リクが聞き返しても、カーエスはなかなか答えなかった。余程言いにくいことなのか、いつも話す時には真直ぐ相手の目を見据える男が、目も合わそうとしない。 しばらくの沈黙の後、カーエスが決意をしたように聞いた。 「リク……お前、フィリーの事はどう思てんねん?」 「……はあ?」と、その質問に、リクは不意打ちを食らったような顔をした。しかし自分を見つめるカーエスの真剣な眼差しを見て、すぐに態度を改め、取り敢えずカーエスに確認した。「……それは恋愛感情の面での意味だよな?」 カーエスは頷いて、答える。 「せや。普段見てりゃ分かるやろうけど、フィリーはお前を好いとる。でもあんたはフィリーの事をどう思っとるんか、それが聞きたいんや」 フィラレスがリクに恋をしていることは、リク自身も薄々感じていることだった。 そして、カーエスがフィラレスに同様の感情を抱いていることも、既に知っていた。 知っているからこそ、それらの恋心のことは敢えて考えないようにしていた。フィラレスの気持ちを裏切るようなことはしたくないし、カーエスの気持ちも無視出来ない。 しかし、このカーエスの様子では、答えをはぐらかす事など出来そうになかった。 「……まあ、可愛い娘であることは認める。それに危なっかしくて、ちょっと引っ込み思案でもあるけど、健気で、守ってやりたくなるな」 「ふうん、で、好きなん? 嫌いなん?」 「好きか、嫌いかで聞かれたらハッキリと好きだ」 カーエスの二つ目の質問に、リクはきっぱりと答えた。そしてちょっとだけ間を置いて付け加える。 「……でもそれは恋愛感情じゃない。ファトルエルの大会で、マーシアやお前が辛い思いをしているところを見ちまったからな。ハッキリ言って愛だの恋だのっていう話にはしばらく関わりたくないんだ」 マーシアは、やっと十年ぶりに再会出来た最愛の恋人・ファルガールが自らの幸せを戒め、自分と逢う事も自ら禁じている事を知り、もう逢えないのではないか、とリクの前で涙を流した。 そしてカーエスも、フィラレスに好意を寄せたがために、フィラレスがリクに対して淡い想いを抱いている事を知って、悩み苦しんだ。 リクは、この二人の苦しみを誰よりも近くで見、感じ取っていた。そして、その苦しみを発生させたのが恋愛感情である、ということが分からないリクではなかった。 答える事にある程度緊張を感じていたのか、リクは一つ深く息をつくと、空になったコーヒーカップをテーブルの上において立ち上がった。風呂に入る為に、荷物から着替えなどを取り出すとカーエスに尋ねた。 「ところで、カーエスは俺にそんなことを聞いてどうするつもりだったんだ?」 カーエスは残ったコーヒーを全て飲み干し、俯いたまま答えた。 「……フィリーを応援したろうと思てな」 「お前はフィリーが好きなのにか?」 意外そうに眉をあげて、リクはさらに質問を重ねる。自分の好きな女の、他の男への恋を応援する。たしかカルクも、ファルガールとマーシアに同じようなことをしていたが、その心情は未だ理解し難い。 カーエスは頷いた後、苦笑した顔を持ち上げ、リクを見上げて答えた。 「俺は思春期やし、割と気の多い方なんや。マーシア先生にも、一時期憧れとったし。でもな、フィリーのお前への気持ちはちゃうで。ホンマにリク一筋や。お前を失うたらフィリーには何も残らんよ」 「………」 それは、確かに言えることだろう。フィラレスは“滅びの魔力”の暴走で何度も人を傷付けた罪悪感がある。それが元になった、彼女の負の感情はとても深い。 フィラレスがファトルエルの決闘大会に参加したのは、“滅びの魔力”のついている自分を殺せる人物を探すためだった。それは何とか未遂に終わったが、それで心に掛かる、負の感情の黒い霧を晴らせた訳ではない。 しかし大会以前には、ほとんど持っていなかった正の感情が、ファトルエルの大会以来、負の感情に対抗できるくらいに膨らんでいる。感情の正負のバランスが良くなった所為か、精神が安定し、まだまだ普通の人間とくらべれば表情に乏しいものがあるにしろ、この頃彼女が笑顔を見せる頻度は高くなっている。 そして、その正の感情の大部分を占めているのは、疑う事もなく、リクへの想いだろう。 それを削ぎ落とす様な真似をするのは、どう考えても良策ではない。 「せやから、リク……。恋人同士になれとまでは言わへん。ただ、できる限りフィリーと一緒にいたってくれや」 リクを見上げるカーエスの表情には、彼が想いを寄せる少女への優しさが満たされていた。 ***************************** 一方こちらは女子寮のフィラレスの部屋である。 フィラレスの部屋はカーエスと同じグレードの部屋であるが、かなり感じが違っている。カーエスの部屋は散らかっているが、フィラレスの部屋は対称的だった。とはいえ、片付いている、という訳ではない。散らかるほど物がないのである。 リビングから見える範囲では、簡単な椅子が二脚に小さなテーブルが一つ。チェストが一つ。食器棚は一番下の二段しか使われておらず、床にはカーペットすら敷かれていない。 今挙げたものを全て除けば本当にただの空き部屋になるような、本当に生活に必要なものだけを揃えたような、そんな質素を通り越した殺風景な部屋だった。 そのリビングで一人冷たくしたお茶を飲んでいたフィラレスの元に、全身からうっすらと湯気を立ち上らせているジェシカが歩みよってきた。 着ているのは薄い肌着のみで、普段の格好ではあまり目立たない、彼女のスタイルの良さが惜し気もなく露にされており、この場にうぶな男の一人でもいようものなら卒倒しそうな程、その姿は悩ましげなものだった。 現在それを見つめているのは同性のフィラレスのみだが、その彼女でさえ、ジェシカの艶姿にはつい、しげしげと見とれてしまう。 「ああ、いい湯だった。まさかここにきて湯槽に浸かる贅沢を味わえるとは思っていなかったな」 その領地に大きな砂漠を有している事も示している通り、カンファータはあまり水が抱負とは言えず、シャワーさえもなかなか浴びられない。ましてや湯槽に浸かるなどという贅沢は貴族以上の者にしか味わえない贅沢なのだ。 一方エンペルファータは半分カンファータ領ではあるものの、水が豊かなエンペルリース領でもあるし、そのエンペルリースから水を引いてくる技術も発達しているため、水が不足する心配は先ずなかった。 風呂からあがって身体が火照っているジェシカに、フィラレスは自分も飲んでいる冷たいお茶を入れてやった。 「ああ、すまない」と、ジェシカはそれを受け取り、椅子の上に座ってそれを飲んだ。「ふむ、冷たい茶も旨いものだ」 そう言ってジェシカがフィラレスに目をやると、彼女はぼうっとジェシカを見つめていた。否、見つめているのではなく、遠い目をして彼女の方をただ向いているのだ。 ジェシカはしばらくその様子を見つめていたが、やがてある事に思い当たった。 「そういえば、ファトルエルを出て以来、リク様と離れて夜を過ごすのは初めてだったな」 リクの名を聞いた途端、フィラレスの意識が現実に引き戻されてきた。顔を紅潮させ、焦ったように、茶を飲もうとカップを傾け、中が空なのに気がついた。 その狼狽振りに、ジェシカはからかうような含み笑いを浮かべた。 「図星のようだな」 ジェシカに指摘され、フィラレスは顔を真っ赤にし、その火照りを覚まそうとしたのか、ポットから茶のお代わりを入れると、一気に飲み干した。 そんな彼女の様子を、微笑ましく見つめながら、ジェシカは言った。 「リク様に惚れるとはいい趣味だ。私も応援するぞ」 その言葉にフィラレスは、気恥ずかしさから俯けていた顔をがばっと上げた。 彼女の表情は驚きに染まっていた。 ジェシカも、そんなフィラレスの反応は予測していなかったので、しばらく首を傾げていたが、やがてその理由に気がついた。 「ああ、私がリク様をお慕いしているのでないかという事か?」 フィラレスがこくりと頷く。 そんな彼女に、ジェシカは優しく笑いかけながら答えた。 「憧れと恋愛感情は別物だ。私はリク様を尊敬はしているが恋心を抱いているわけではない。ちょっと前までなら、憧れも恋心も一緒に抱いて接した男性がいたが、その人は手の届かないところへ去ってしまった。失恋したばかりで、当分恋はできる気がしない。それに、おそらくリク様には尊敬以上の感情を抱く事はないだろう」 憧れも恋心も一緒に抱いた男性、それはジェシカの師でもあるシノン=タークスの事だ。 魔導騎士団長であり、五年前にも開かれたファトルエルの大会の優勝者でもある彼は、優勝候補の一角として参加し、そして大会中にジルヴァルト=ベルセイクという男に殺されてしまった。 大会が終わってから、まだ一週間。リクと闘う事で、長年抱いていた悩みを解決したとはいえ、愛した男が死んでしまった悲しみは未だ風化してくれない。 言った事で、それを改めて思い出し、いつの間にか物憂げな表情になっていたらしい。 恋心を突かれ、さっきまでかなりの動揺を見せていたフィラレスが、今は心配そうにジェシカの顔を見上げている。 「心配しなくてもいい。確かにあの死別は辛いものだったが、出会いがあるからこそ別れがあるのだ。私はシノン様に出会えて良かった、愛せて良かった。そうでなければ、私はここにはおらず、悩みを晴らす事もなかっただろう。そう思った時の喜びを思えば、別れの辛さも耐えられる」 そう語るジェシカの表情は慈しみに満ちたものになっている。 出会いがなければ、別れはない。だが人との出会いは避けられないものであり、よって別れも避けることはできない。しかし、別れの悲しみはその時だけのものであり、また出会いはある。そして後には、別れた事を悲しむよりも、出会えた事に喜びを感じるのだ。 愛する者との出会いとなれば、その想いはなおさらだろう。 「さて、長旅の後だ。今夜はもう休もう」 こうして想い飛び交う夜は更けていく。 |
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